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【メモ】731部隊の新証言?証言者怪しすぎる
「病原体の生体実験 毎日2~3人解剖」
731部隊元隊員証言

 戦時中に中国大陸で、捕虜などに人体実験を重ねた旧日本陸軍731部隊の衛生兵だった三重県尾鷲市の大川福松さん(88)が8日、大阪市で開かれた国際シンポジウム「戦争と医の倫理」に出席、「毎日2~3体、生きた人を解剖した」と証言した。当時の体験を人前で明かしたのは初めてで、「不正なことは、社会に、はっきり示さなあかんと思うようになったから」と語った。

 大川さんは早稲田大で細菌学を学び、1941年に召集。44年8月から旧満州(現中国東北部)にあった関東軍防疫給水部本部(通称731部隊)の「ロ号棟」で、衛生伍長をしていたという。所属した班は、ペストやコレラ、梅毒などの病原体を人体に注射して感染の状態を調べたり、人為的に凍傷を作ったりしていた。最初は「大変な所に来た」と思ったが、次第に感覚がまひし、「そのうち、毎日2~3体解剖しないと仕事が終わらん気になっていった。多い時は1日5体を解剖した」と証言した。

 子持ちの慰安婦を解剖したこともあった。「子どもが泣いている前で、母親が死んでいった。子どもは凍傷の実験台になった」と語った。
(2007年4月9日 読売新聞)
http://chubu.yomiuri.co.jp/news_top/070409_5.htm
※太字は当方で補足強調

ところが
早稲田大学には近年まで生物学に関する専門学部はなかったらしい。
(前略)化学・生命化学科専攻は、2007年度から新たに生命化学部門を増設し、有機化学部門 (教員3名)、無機分析化学部門(教員3名)、物理化学部門 (教員3名)、生命化学部門(教員2名予定)の4部門から構成されています。
http://www.sci.waseda.ac.jp/global/faculty/advanced/index04.html
※太字は当方で補足強調

更に早大OBらしい方が某掲示板で早大の生物学関連の学部の歴史の調査結果を報告されてられるので引用。
まず、理工学部については戦前から戦後のほんの数年前まで、生物系の学科が有りません。
唯一、戦前の一時期に「応用菌学」という単位が取れるようになっていましたが。
昭和2年時点の話で、それだけが生物科目が取れる選択科目で、なおかつ昭和7年のカリキュラムでは消えていました。
それ以外は化学と物理だけを重点的にやってるのが、早稲田の理工学部です。

件の新聞記事であたるとしたら、前述の応用菌学は大学二年生で2単位貰える学問だから、当時学んでいたとしたら、最若年でも大正元年産まれでないと無理(昭和6年時点で19歳)。
で、この爺さまは今88歳、ということは、1919年産まれ=大正8年。 もう時期的にこれではダウト。

教育学部が生物系の専修を始めたのは戦後の話。
それ以前は、教育学部が出来る以前、学部が高等師範科と言われてた頃から見ても、内部の学科は国語漢文科・英語科、戦時中に体練科ができたぐらいで、ほとんど文科。
理系らしい理学科を教えていた高等師範科2部という学部も存在したが、内容も物理化学に特化し、なおかつ大正8年に廃止された学科。
以上が早稲田大学の学史などを通読した報告。
 
あと、講義される単位の科目単元を見ると、どの学科でも生物が重点的にされてない。
戦時中の19年の講義一覧でも物理で飛行機の流体力学を講義したり、科学で火薬錬成などを教えているのに、なぜか生物系にある単位が存在しない。

だそうな。

ちなみに証言者という大川福松氏の経歴だが、中帰連のサイトには会員や責任者らしい物の明記が全くなく(さすが)、思想背景などは不明。
ネットがここまで普及して、「証言者」なる人たちの経歴があっさり調査できるようになったので、それを回避するために媚中派が発掘してきた、以前紹介した「枚方市の牧野明」と同じ様なたぐいのニューフェースかも?

まあ、こういうイベントがあるので、その前座興業とも思えますがヾ(^^;)


(2007/4/14追伸)
この件に関して、この記事を載せた読売新聞に直接電話談判した勇者がいた。
それによると、
(1)大川福松氏は「夜学で1年間菌の培養を勉強した」と主張しているらしい
(2)大川福松氏が731部隊員というのは自己申告で、公式の資料を調査して確認を取っていない模様
詳細はこちら(博士の独り言)で。

今でも「2部の工学部」って時間的余裕などから珍しいのに、まして戦前はいかがなもんでしょうね。第一戦前の早稲田に夜学部あったのか?

など、いろいろ調べるとこの大川氏、つっこみ所の多い方のように思います。
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テーマ:中朝韓ニュース - ジャンル:ニュース

国際時事・特亜本部 | 17:13:12 | Trackback(0) | Comments(0)
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