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【メモ】韓国の学者が新説「倭寇は韓国を侵略する武装組織」
■「倭寇、計画的に韓半島侵攻した」対馬豆酘神社の「高麗どら」

 日本の対馬でも交通が劣悪という噂の豆酘(つつ)。北は峻険な峰で塞がれ、
東西は長い岬が伸びて、南西には大韓海峡の荒波が押し寄せる暗礁だらけの
海岸に囲まれた人里離れた村だ。日本の民俗学者が中世社会が残る場所と
するほどに隔絶された場所だ。この人里離れた村のある神社に直径79センチにも
なる大きな'青銅製高麗どら'(写真)がある。普通の高麗どらの直径は30~40センチ。
 李ヤン放送通信大日本学科教授は、豆酘の高麗どらが倭寇研究に重要な
糸口を提供すると考えている。倭寇研究の最大の論点のうち、日本側の研究者
たちは「倭寇=日本人」であることを立証する日本側文献がないことにかこつけて、
倭寇が高麗人と日本人の連合集団と言う主張を申し立てて来た。
 「対馬豆酘多久頭魂(タクヅタマ)神社所蔵の高麗の金鼓と倭寇」という論文で
李教授は、どらに刻まれた銘文を再解釈する。どらには去る1245年製作当時
刻まれた文が残っている。「禅源乙巳五月日、晋陽府鋳成□福寺飯子一印」。
「□福寺」を高麗の武臣政権の最高実力者だった崔忠献(チェ・チュンホン)の願刹、
昌福寺(チャンボクサ)と考えれば全体文章の解釈が可能だ。崔忠献の息子である
崔瑀(チェ・イ)が自分の願刹である禅源寺を建てた高麗高宗32年5月(1245年)、
武臣政権の核心権力機構である晋陽府で崔忠献の願刹に使うどらを作って捧げたと
いう。
 普通のどらより直径が倍以上大きい、そのように大事などらがどうして対馬の人里
離れた村にあるのか?どらが日本に伝わった1357年、追加でどらに刻まれた銘文に
糸口が見える。大蔵スネダネという人物が同僚たちの業報(ごうほう)を消滅させようと
これを奉納したという内容だ。当時、高麗と日本両国の間にはモンゴルと高麗連合
軍の日本侵攻以後、軍事・政治的緊張が高まった時期だった。どらを高麗政府が
簡単に日本に渡したはずはないだろう。

 あいにく、どらに追加で刻まれた銘文の日付印1357年10月18日にわずか23日
先立って、倭寇たちが高麗のお寺を最初に掠奪した記録が残っている。恭愍王の代に
一番格が高いお寺だった興天寺侵奪だった。昌福寺にあったどらが武臣政権の
崩壊で国家に没収され、興天寺に移されてから倭寇たちが掠奪し、対馬に持って
行ったということだ。
 大蔵スネダネは当時、北九州の実力者だった少弐頼尚(しょうに・よりひさ)旗下に
あった者だった。結局、倭寇が対馬に限定して活動した無意図的な海賊ではなく少弐
頼尚の統制下に対馬を経て計画的に侵攻した集団だった、という結論に至ることになる。
 李教授の論文は今月19日、釜山大で開かれた韓国中世史学会と釜山大民族文化
研究所が共同主催した「中世韓日関係史の中の倭寇」主題の学術大会で発表された。
http://www.busanilbo.com/news2000/html/2008/0222/060020080222.1025102605.html(韓国語のみ)
※某掲示板で邦訳された物をコピペして持ってきました

前期倭寇と後期倭寇では民族構成も違うという基本的な知識もしらんのか(しかもこれを提唱したのは日本の学者じゃなくて中国の学者だぞ)
学者が本業の分際で
以下、呆れて開いた口もふさがらない私の代わりに某掲示板の感想など
対馬はウリナラの領土じゃ無かったのか?
前期倭寇とか後期倭寇とかの区別をし、その前期倭寇などでも時期を考慮して研究している
日本の学者と、区別が全くつかないウリナラ似非学者では対話も難しいだろうな。
竹島騒ぎの時に連中の言ってた対馬領有の根拠は応永の外寇(1419年)だけど、
思考的に時系列が滅茶苦茶だから、そのうち元寇以前からウリナラ領と言い出すのも遠くないかも


※一応ジャンルは「学問・文化・芸術」分野「歴史」にしましたが、
 「歴史」ジャンルに入れるのも恥ずかしいレベルの内容を大学教授がいってることはスルーで(苦笑)
 いや、やっぱり「お笑い」分野にしておくべきだったか…ヾ(--;)
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テーマ:歴史 - ジャンル:学問・文化・芸術

国際時事・特亜本部 | 23:14:36 | Trackback(0) | Comments(1)
コメント
その対馬は今,韓国による間接侵略にさらされています。韓国資本による土地の買収、観光客の悪質なマナー、さらには、「対馬は韓国の領土だ!」と集団で気勢をあげる韓国人観光客・・・。さらには対馬伝統の祭りを「アリラン祭」にかえてしまった行政の警戒心の欠如。そして「間接侵略」は福岡にもすでに上陸。博多区役所の各部局の表示にはハングル表記が併記されており、また宇美町の公共施設の案内板にも英語表記の下にハングル表記が登場した。「握手しながら足で蹴り合う」のが外交・友好の世界的常識だが、どうも戦後の日本人は「友好」となると先に膝を折って好意を持ってもらおうとする行動に出がちである。これは相手に誤ったメッセージを送ることになりかねない。行政には世界の常識でものを見て判断してほしい。「侵略」は我々の日常から静かにひろがっている。






2008-03-18 火 00:13:28 | URL | ダーナオシー [編集]
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