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また「むしゃくしゃしてやった 誰でも良かった」
…大きな事件であちこちで報道されているので詳細は省略
◎秋葉原で通り魔、7人死亡=トラックではね、ナイフで襲う=
※記事などの内容は2008年6月9日掲載時のものです

 8日午後0時半ごろ、東京都千代田区外神田のJR秋葉原駅近くの路上で、トラックが人をはね、降りてきた男がナイフで次々と通行人らを刺した。警視庁万世橋署員が駆け付け、殺人未遂の現行犯で男を逮捕した。男女17人が負傷し、うち男性6人と女性1人の死亡が確認された。
 逮捕されたのは、青森市出身で静岡県裾野市富沢に住む職業不詳加藤智大容疑者(25)で、警視庁捜査1課は同署に捜査本部を設置してサバイバルナイフなど刃物2本を押収した。殺人容疑でも調べる。
http://www.jiji.com/jc/v?p=vcm42901
また、以前からこの手の報道はあったが、今回の事件は初めて犯人によるネット予告があったことが実証された事件となった。容疑者による携帯サイトの書き込み全文は産経新聞のサイトで見ることが出来る(犯人写真付き) 
毎日新聞によれば警視庁もこのことを事件前に把握して警戒していたようだが、事件を未然に防ぐことは出来なかったとしている。
秋葉原通り魔:携帯掲示板に予告 警視庁に情報、警戒中

 東京・秋葉原で8日起きた通り魔事件で逮捕された加藤容疑者が警視庁捜査本部の調べに対し、事件直前の8日早朝から正午過ぎ、携帯電話サイトの掲示板に、今回の通り魔事件を予告する書き込みをしたことを認める供述をした。容疑者が実際に予告していたことが判明するのは異例。

 警視庁には、この携帯専用掲示板とは別のインターネットの掲示板に「5日以降に秋葉原で惨事」などの書き込みがあるとの情報が寄せられ、万世橋署にも参考連絡していたが、予防はできなかった。(以下略)
http://mainichi.jp/select/today/news/20080609k0000e040038000c.html

やっていることは無茶苦茶だが、犯行そのものは冷静沈着計画周到で心神耗弱などの陰は全く感じられないように思われる。しかし何故にアキバを狙ったのだろう?一部のブログなどでは、容疑者を格差社会のワーキングプアの犠牲者とする見方もあるようだが、それなら秋葉原で無差別殺人に走るのではなく会社やその上司を狙うのではなかろうか。

この事件のかなり前の物になるが、犯罪心理学専攻の斎藤環氏の話が参考になる。長文だが、今回の事件にも関係のありそうな箇所を抜粋
 それぞれの事件の容疑者は、たしかに不安定で明るい展望が持てない生活を送っていたようですが、これを絶望的なものとみるかどうかは賛否があるでしょう。もちろん、いかなる事情があろうとも殺人は許されることではありません。メディアの勝手な解釈とは別に、精神鑑定なども含めて、事実関係がきちんと解明されることを希望します。
 ただし、このような犯罪には、それに対するメディアの反応も含めて、さまざまに象徴的な意味を読み取ることはできると思います。私がこれから述べるのは、個別の事件についてというよりも、事件の持つ象徴的な意味についての解釈です。この点をまずご了承下さい。
 さて、二人の容疑者に共通することは、一種の自暴自棄です。彼らはあきらかに、逮捕されることを想定した上で犯行に走っています。その意味で、彼らにとっては、他殺と自殺の距離は限りなく小さいとも言えます。
 もちろん彼らの置かれている状況が、通常の意味では絶望的にはみえません。しかし、それは一面的な見方です。生活を続けていくことの可能性という点から言えば、彼らはまだ、必ずしも「生存の不安」にはさらされていません。しかし、彼らは別の意味で危機的状況にあったとも言えます。それは「実存の不安」というものです。
 自分がなにものか。自分が生きていくことに意味があるのか。そうしたことにまつわる「実存の不安」は、戦後の若者がいだく不安の中心を占めています。
 いまや「生存の不安」はリアルなものではなくなり、「実存の不安」が圧倒的になりつつあります。それゆえかつての若者は、行動によって自分が何ものかであることを証そうと必死であがきました。その少し後には「自分探し」が流行しました。どこかにあるはずの本当の自分をさがして、若者は心理学や宗教にすがろうとしました。しかしいまや、若者は自分探しすら断念しつつあるようにみえます。どういうことでしょうか。
 社会のインフラがネットワーク化、システム化されると、社会全体の匿名化が進みます。個人の意志や動機が直接に社会を動かすのではなく、間にさまざまなシステムが介在するため、物事の因果関係がきわめて複雑になります。その結果、システムの中枢を司る一部の人々を除いては、自分がおかれている状況がきわめてわかりにくいものになりがちです。この傾向は今後ますます加速されるでしょう。
 「格差社会」という言葉の問題は、それが誰のせいでもなく、システムの作動それ自体が、自動的に格差を押しひろげていくのだ、というイメージを固定してしまったことでしょう。このイメージはきわめてリアルで曖昧なものなので、検証できないまま流布していく性質を持っています。その結果、経済格差や人間関係の格差、希望の格差あど、あらゆる点において格差の存在が予測されがちです。
 そこで予測されるものの一つに「名前の格差」というものがあるように思います。
 名前の格差とは、あくまでも比喩的な表現です。システムの中で、自分だけの固有の名前を持つことができる人と、匿名のまま名前を持つことができない人の格差です。目的として扱われる人と、手段としてしか扱われない人の格差、とも言いかえられます。目的としての名前を持つということは、変化と成長の可能性に開かれていることを意味します。しかし匿名の手段でしかないことは、そうした変化の可能性に希望を持つことができないことを意味します。
 こうした匿名性という視点からみるとき、「誰でもよかった」という言葉は特別の意味を持つように思います。もちろんそれは、「殺す相手は誰でも良かった」という意味だったでしょう。しかし、本当にそれだけでしょうか。二人の容疑者が偶然にせよ同じ言葉を口にした事実は、この言葉を象徴的なものに変えます。
 私には、この言葉が彼らが自分自身に向けた言葉のようにも聞こえるのです。匿名性の中に埋没しつつあった若者が、「これをするのは自分ではない誰でも良かった」と呟いているように聞こえるのです。
 かつて、若者による動機の不可解な犯罪の多くは、犯罪行為による自分自身の存在証明のように見えました。自分自身の神を作り出したり、犯行声明文を出したりという形で、それは表現されました。
 しかし、今回の二つの犯罪には、もはや殺人によって何ものかであろうとする欲望の気配も感じられません。自分自身の行為すらも、半ばは匿名の社会システムに強いられたものであり、たとえ犯罪を犯しても自分の匿名性は変わらない。そのようなあきらめすら感じられるのです。
http://www.nhk.or.jp/kaisetsu-blog/400/8078.html

最後に不幸にしてお亡くなりになられた方のご冥福と、怪我された方の早いご回復を祈って。
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テーマ:秋葉原無差別殺傷事件 - ジャンル:ニュース

事件や出来事 | 01:27:12 | Trackback(0) | Comments(2)
コメント
また変な弁護士がつかないと良いんですが…
2008-06-10 火 21:51:07 | URL | 奈々子さん [編集]
コメントありがとうございます。いろいろ書いていたのですが、fc2側で設定した禁止ワードがあるようで(何が駄目かは不明)書けないようです。後ほど新規記事という形で書いてみようかと思っています。
2008-06-15 日 18:52:26 | URL | ばんない [編集]
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